横浜メリー

Production Note

語り継ぐこと監督・構成 中村高寛

中学生のころ、町に映画を観に行くと、よくメリーさんを見かけた。全身白塗りの老女で、とても近づける雰囲気ではなかったし、強烈な畏怖を感じた記憶だけが今もなお残っている。
その後、いつの間にかメリーさんは町から居なくなっていた。「なぜ、メリーさんを題材にしたのですか?」と多くの人に聞かれる。いちばんの理由は、私がメリーさんと関わりを持った人達と出会ったこと、そして彼らに強く惹かれたことだろう。
畏怖すら感じるメリーさんと、ただ会って話すだけでも凄いのに、友達だった人すらいる。彼らが語る「メリーさん」」との記憶や話、真偽すら定かではない伝説などが面白くて堪らなかった。
「語ること、語り継ぐことに意味がある。語り継いでいくことによって、余計なものが削ぎ落とされ、本物だけが残る。メリーさんの伝説と同じかもしれない」。ある人が言った、このフレーズが忘れられない。そしてメリーさんの本物の部分、核心を追っていけば、私が育った横浜という町のメンタリティを描くことができるのではないか、作品になるのではないかと思い、勢いだけで作り始めた。 私自身は、メリーさんの映画を撮った感覚はあまりない。
「メリーさん」を通した「ヨコハマ」の一時代と、そこに生きた人たちを、ただ一つの現象として撮っただけだと思っている。しかしその現象のなかにこそ、誰もがもつ、普遍的な人の営み、感情、人生が如実にあらわれるのではないだろうか。それはどんな社会的なメッセージよりも私が描きたかったことである。
最後に、この作品を作るキッカケとなり、常に支えてくれた森日出夫さん、病と戦いながら出演してくれた元次郎さん。そして(作品に協力してくれた)愛すべき横浜の人達に心から感謝の言葉を言いたい。ありがとう。いや、ありがとうございました。

記憶の中のメリー写真・構成出演 森日出夫

メリーさんを最初に撮ったのは25年位前である。
真白い顔に深紅のコートを見に纏っていた。街の喧噪の中、通り過ぎざまにシャッターを押す。
指先に震えを感じた。12年前(1993年)に韓国人の友人から連絡があり、“メリーさんが自分が働いている店の、ある場所にいつも居る”というのだ。
半信半疑で福富町(横浜)にあるBARが20軒位入っているGMビルに行くと、螺旋階段の前に白いドレスを着たメリーがポツンと立っていた。 まるで舞台女優のようだった。
それから一年間、僕はメリーさんを撮り続けた。メリーさんの存在は僕の生活の一部となった。
1995年、写真集「YOKOHAMA PASS」ができ上がった。
……そしてメリーさんが忽然と街から消えた。
横浜の風景が変わって見えた。何か違和感があった。メリーさんと横浜の街が一体となっていたのだ。2006年、横浜で「ヨコハマメリー」が上映される。それもメリーさんが毎日歩いていた伊勢佐木町の映画館で……。
青江三奈の伊勢佐木町ブルースが聞こえる。

ヨコハマメリーのナラティビティプロデューサー・編集 白尾一博

当初は「LIFE 白い娼婦メリーさん」として始まった作品。一度完成した作品を解体し、タイトルも替え、「ヨコハマメリー」としてスタートした。監督がリサーチをおこない、その情報を元に、私と2人で考えていくというスタイル。最初の撮影から7年、私が参加してから3年。数百時間の膨大な素材があった。必然的に、編集室は監督とのディスカッションルームと なった。壁一面に貼られた付箋を剥がしては貼り、剥がし続けているうちに、足りない画があることに気付き、新たな素材を撮影ーまた編集室ーの繰り返しだった。
メリーさんを語ることは、かつての横浜、元次郎さん、根岸家や混血児、シルクセンターに脱線していくことに他ならなかった。取捨選択よりも情報量を重んじた。だが混沌からナラティヴが立ち上がっていくような構成は、地味かもしれないが、決してオーソドックスな着地点ではないと自負している。製作にあたっては多数の方々から有形無形の協力を得た。その中でもとりわけ感謝したいのは、森日出夫氏の多数のスチール写真と中澤キャメラマン撮影のラストシーン。この二つが核となって、作品の強度を高めているのだと思う。

1H32Mプロデューサー 片岡希

元次郎さんとのやりとりは、不思議とすべて覚えている。しゃべり方も、くるくる変わる顔の表情も、手を握ったときの体温も、言葉の一字一句まで。それだけ元次郎さんという人は、私(たち)に強烈な印象を与えて、あっという間に逝ってしまった。それは、私たちに何かを伝えるために現れた化身ではないかと錯覚するほどだった。私たちは確かに、「ヨコハマメリー」を完成させた。その一歩を踏み出したのは、7年前になるだろうか。気づけば5年という歳月を費やしていた。スタッフの中にも色々なことがあった。だからこれは、我々スタッフの、生々しい記録でもある。でもやはり、完成フィルムを見ていると、元次郎さんのことを思い出す。メリーさんが手繰りよせた人々。その人々が、元次郎さんの棺の傍らでじっと固まっているあの光景は、今も頭に焼き付いて離れない。固まっている私たちの前で、棺はするすると暗闇に吸い込まれて、元次郎さんは骨になって出てきた。みんなで黙って、骨を納めた。生き抜くことを見せつけられた。我々が切り取ったのは人々の人生の極一部だが、この作品に関わった人々は、これからもずっと生きていく。ドキュメンタリーが切り取るのは、そんな人生の一部分に過ぎない。しかしその一部分が、人の人生をみせていく。

元次郎さんへ撮影 中澤健介

撮影を始めたのは7年前。写真家•森日出夫さんのインタビューからでした。その頃のスタッフ体制は監督と私。年月が経つうちに増えていく資料と撮済(テープ)。参加スタッフも少しづつ増えていきました。皆さんなくして、完成はなかったでしょう。劇映画育ちの私は撮り始めた当時、劇とドキュメンタリーの違いを考えるよりも、日常を追っていく映像を、いかに劇映画のように撮っていくかを考えていました。何百回と歩き回り、見つけた映画的フレーム。この中へ日常を招き入れたい。日常を映画に。病が発覚してからの元次郎さんの撮影は、ドキュメンタリーの重み、そして撮る者、撮られる者の関係性を問われました。余計な小細工など入る隙間のない現実。元次郎さん自宅玄関横のコンクリートの隙間、寄り添う様に黄色く笑うタンポポ。私のキャメラは、このタンポポにはなれないものか。元次郎さんの思い、この作品に関わった方々の思いが少しでも映像で伝われば幸いです。命が尽きても、決して終わる事のないそれぞれのドキュメント。日常を映画に、ではなく、人それぞれの今そこにある日常こそが壮大な映画であると感じます。

伊勢佐木町ブルース録音記音楽 コモエスタ八重樫

「渚さんに歌を、そしてバックトラックを八重樫さんに…」。監督とプロデューサーは私に言った。そして、こうもつけ加えた。「予算はあまり無いんですが…」。そのヒトコトで私の頭の中で録音風景が見えてきた。
いつもの目黒の激安スタジオで、気の合った古い仲間とライブ演奏のように一発録音。ヘッドアレンジは今、私とユニットを組んでいる福原まり。渚ようこの歌のバックには、渋くて存在感のあるギター。ゲスト扱いでクレイジーケンバンドの小野瀬さん…これで決まり。
そして数週間後には、その通りにこの曲は録音された。オリジナルとは一味違った「伊勢佐木町ブルース」。映画と共に私の心に残る作品となりました。

大都会に棲む小さな獣出演 山崎洋子

その人がいたのは、歓楽街にあるビルの一隅だった。パイプ椅子を二つ並べ、上体を深く折り曲げた姿勢で眠っていた。人は普通、体を伸ばして眠る。しかし野生の獣は、自分の体で自分を隠そうとするかのように丸まって眠る。メリーさんと呼ばれるその人は、大都会に棲む小さな獣だった。頭から足の先まで真っ白だったから、置き去られた大きな卵のようにも見えた。
それが十年くらい前。私が横浜という街に馴染み始めた頃のことである。見たのはその一度だけ。ほどなく彼女は横浜から姿を消した。けれども見てしまったからには気になる。以来、私はだれかれとなくメリーさんのことを訊いて回った。
「メリーさん?もちろん知っているよ」。
横浜の中心あたりにいる人は、みんなそう答える。終戦後、進駐軍相手に街娼をしていた、老婆と呼ばれる歳になってからも、白塗り、白い衣装で街に立ち続けているーーというあたりまでは誰の話も同じ。が、それから先は人によって言うことが違ってくる。「一代目がいて、現・メリーさんは二代目」「実はオカマだ」「豪邸に住んでいる」「病気で脳をやられている」
メリーさんは、どんなに親切にされようと、自分のことをほとんど語らなかった。だから噂が独り歩きし、姿を消したあとは謎めいた都市伝説だけが残った。 そんな彼女を、若い中村監督が追った。よくぞここまでやれたと感心せずにはいられないほど、時間と誠意をかけて映像にした。真摯に彼女の面倒をみたゲイのシャンソン歌手、元次郎さんと組み合わせることによって、横浜の貴重な戦後史、さらには胸を揺さぶる人間ドラマにまで昇華させた。横浜にはおそらく、何人ものメリーさんや元次郎さんがいたことだろう。それを思う時、私はいっそうこの街がいとおしくなる。

街が劇場になった出演 五大路子

中村監督に「横浜ローザ」の舞台のラストシーンから街に抜け出した想いで伊勢佐木町を無言で歩いてくれと頼まれた。頭の中で舞台をたぐりよせ“心”という文字の中に消えてゆく瞬間までを想い路上に立った。白ぬりに白いドレス、腰をまげ大きなバックを引きながら進む姿に人々は「メリーちゃん!」と声をかけ立ち止まり、ささやき、語り合い、いつの間にか街が劇場になっていた。この街は決してメリーさんや元次郎さんの事を忘れはしない。

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